ある世界で
厳しかった冬の寒さが信じられないくらい暖かな陽気が大地を包み込んでいます。少女は土手に座り、何かに備えているかのように固まって咲き誇っているマドリコ草の花々に顔を近づけ、その端麗な形や芳しい香りを楽しんでいました。
「シャーラ、もうそろそろ帰ろうよ。」
近くの木の枝に腰を掛けている少年が話しかけます。
春暖かな空気に誘われるかのように、触ると消えてなくなりそうな若葉が枝先から顔を覗かせようとしています。頭上では喜びと共に米粒程の大きさになるまでに大空高く舞い上がった小鳥が複雑な声で鳴いています。風という風が生き物たちの気持ちを乗せ運んでいるようでした。少年は慣れた動きで枝から腰を外すと両手で目の前の枝にぶら下がり、体を大きくひと振りさせて少女の近くに飛び降りました。
「マパ、そこには花が咲いているの!」シャーラはマパの足元を見て言いました。
「あ、ゴメン。」マパは慌てて爪先立ちになるとまるで宙に浮くような足取りでふわりふわりと移動しました。
二人は家に帰るまでの間、一緒に花の見つけ合いをして遊びました。二人にとって春恒例の遊びです。二人の目に入る花々は、赤、白、黄色と色の違いはさる事ながら、反り返る花びらや筒状の花、プロペラになって飛び出しそうな花など形も実に様々です。中には誰の心を楽しませるのだろう?と不思議に思わざるを得ないほど小さな小さな花も見られます。
マパとシャーラの家の西壁にある窓からは農地や草原を背景に一本の樹木が見えました。灰色の光沢を持つ薄茶色の樹皮には縦長の斑紋があり、この春に開いたばかりの産毛に覆われた葉は特有の匂いを放っています。マパとシャーラはその木が自分たちと同じ年齢だということを知っています。口癖のようにいつもフィリおばあさんが言うのです。
「あの木はキシの木とってね、あなたたちが産まれた時に芽を出した木なのよ。」
キシの木の背丈はあっという間にマパとシャーラを追い越して行き、今では二人の身長を合わせても足りないくらです。一方、幹の太さは大人のふくらはぎ程で、キシの木としてはまだまだ若齢の風貌です。その為かキシの木はまだ花をつけたことがないのです。
シャーラはキシの木の周りで咲いている他の草木の花々を眺めながら「どうしてマパとシャーラの木には花が咲かないの?」とよくフィリおばあさんに尋ねます。シャーラはキシの木のことを“マパとシャーラの木“と呼んでいます。これはマパも同じでした。
シャーラ、木や草たちが花を咲かせるためにはね“場所“がとっても大切なの。」フィリおばあさんがにこやかに答えます。「草や木たちにとって居心地の良い場所ってことよ。」
「じゃあ、マパとシャーラの木はここの場所が気に入らないってこと?」
マパが横から聞いてきます。