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晴天

マジックボックス

ガチガチ頭の男

 夜空には雲ひとつなく、手を伸ばせば届きそうな満月が妖艶な光を見せていました。負けじと精一杯の光を放つ星たちも月の距離を見失うようにその光の世界に吸い込まれます。そんな月明かりの下、家と農場の間の拓けた土地に置かれた黄金色の光を放つ箱の周りには村人が溢れていました。箱を幾重にも囲っている大人の間から、子供たちが恐る恐る手を伸ばして触ろうとしたり穴が空くほど見つめています。若い大人たちは初めて見る物に対する好奇心からか、それとも不思議な箱の光に魅せられているのか飽くことなくその光に見入っていました。一方、村の年寄りたちは箱を取り巻く集団の輪から外れた所で未知の物に対する畏怖の念を口々に呟いていました。「はよ、そん箱ば山さ戻して来た方がええ。」光る箱を山の神と信じて疑わない老人は遠目から恐怖を感じています。これからトンピピ村に起こる出来事を考えると年配者のその想いは当たらずといえども遠からずでした。満月も頭上高くまで昇り、夜もすっかり更けました。いつもなら誰もが眠っている時刻ですが、今日の村は眠りにつく気配がありません。黄金色の光に思考まで吸い取られたかのように、とりとめのない時間がたたずんでいきます。
 いく時の時間が過ぎたでしょうか。突然村を揺るがす出来事が起きました。半ば呆然としていた村人の空気に喝を入れるかのように箱が黄金糸の光を急に強めたのです。次の瞬間、箱の上部から何かが顔を覗かせ始めました。その様はもはや箱というよりも黄金色のスープそのものでした。何かが出ている箱の上面は、より強い光を放ち目も眩まんばかりです。辺りにいた村人は腰から崩れその場に座り込んでしまいました。いったいどこからやって来たのか、どうやって出て来たのか、気づけば一人の男が箱の上に立っていたのですから。男は黄金色の箱の中から何かに押し上げられるように姿を現したのです。華やかな背広姿にカチカチに押し固められた髪の毛、そして顔全体を支配しているかのような大き過ぎるブヨブヨの口。村人にとってその姿は今までに見たことのない異様なものでした。
 すると男は手にしていた輪っかを無造作に空高く投げ上げました。それは暗い闇に留まると一瞬にして辺り一面を真昼のように明るくしました。炎からこぼれる光しか知らない村人にとって説明のつかない出来事です。
「みなさん、こんばんわ。」
 波のようにうねる大きな唇から丁寧な声が流れ出ました。呆然自若の村人たちは無意識に後退りを始め、恐怖心が先立った数人はガチガチ頭の男に背を向けて逃げ出しました。
「待って下さい。」
 ガチガチ頭の男は余裕の表情で言いました。よく透る声でした。1番遠くに逃げていた者でさえ、耳を奪われて傍で話された気がしたほどです。そして、その言葉には従わざるを得ない不思議な力がありました。
「いや、驚かせちゃったかな?申し訳ありません。でも心配ありませんよ。私もみなさんと同じ人間ですからね。どうかもっと近くに寄って来て下さい。さぁ、ここに集まって。私はこの不思議な箱の使い方を説明しに来ただけですから。」
 ガチガチ頭の男の声は、箱から放たれている妖艶な光同様に心の中に染み込んでくるようです。
「はじめまして。」「こんばんわ。」「はい、あなたはこっち。君はここ。」
 村人に波打つ唇を向けながら一人一人に語りかけていきます。心に許可なく入り込む声に抵抗できず、村人は箱の上で誘導する指の動きのままに操られました。見えない糸で繋がれているように箱の前に次々と座っていきます。
「いや、みなさん、とても素直にお集まりいただいてありがとうございます。」

矢印下

 ガチガチ頭の男は唇で笑顔を作って言いました。
「驚かせてすみませんでした。こんなに驚かれるとは思いませんでしたから。それにしてもみなさん、表情が硬いですよ。そんな不気味な物に触るような目で私を見ないでください。いやぁ、無理もないですか・・今起こっていることもこれから起こることも、すべてみなさんの想像を絶することばかりですから。」
 ガチガチ頭の男の声の呪縛から離れられない村人たちは、強ばった表情のままで声を上げることも忘れていました。
「さて、それでは本題に入りましょうか。えっ、私の名前ですって!? そんなものはありません。“おい”でも“お前“でも好きなようにお呼びください。仮に私に名前があっても説明が済めば私は消えます。私に名前は必要ないのです。」
 この男は本当に名前を持っていない‥村人たちはそう思いました。
「私にはありませんが、この箱にはちゃんとした名前があるのです。これからみなさんがお世話になる箱の名前ですからしっかりと覚えて下さい。」
 と言うが早いか、まだ箱の上に立っていた男はその場にしゃがみこみ右手を箱の面に突き刺しました。黄金の光を強めた表面がスープのように波打ち、男の腕を柔らかく包み込みます。次の瞬間、男の片手には大きな光を放つ板が握られていました。それは板と言うより長方形の光そのものでした。周りは金色に縁取られ、表面は青と白の奇妙な模様が揺れ動き光を放っています。波しぶきに泡立つ海の中から晴天の空を見上げるような光景です。村人の表情が驚きに包まれるよりも早く、ガチガチ頭の男は画面の右下にある二つのボタンのうち右側のものを押しました。

   《《《  マジックボックス 》》》

 青白模様の画面は一瞬にしてその文字を映し出しました。立体的に飛び出してくるその文字はとてもカラフルで、どんなに遠くの人の目にもくっきりと飛び込んできます。
「みなさん、見えますか?そう、この箱の名前は“マジックボックス“です!その名の通りまさしく魔法の箱であります。一言で語るなら、何でも出し入れ可能な箱なのです。百語るより一見ですね。あなた‥そう、そこのあなた。ちょっとこちらに来てもらえますか?」
 ガチガチ頭の男は箱からするりと飛び降りると一人の若い男を近くに呼び寄せました。彼は紛れもなくこの箱を村へ持ち帰った男でした。ガチガチ頭の男は、彼の手のひらに透明な種を数粒滑り込ませると村人に聞こえるように言いました。
「さあ、このまま箱の中に手を入れて!そしてあなたの今欲しい物を思い浮かべてみてください。」
 好奇心旺盛なこの男でさえ、まだ恐怖心の方が強くためらいがありましたが、ブヨブヨ唇の言葉には逆らうことができませんでした。男は目をつぶり握りしめた手を箱に突き刺しました。手を吸い込むように包んだその箱は再び光を強めます。そして若い男が手を引き抜くと握りしめていたはずの手には、人間が編み込んだとは思えないほど微細で幾何学的な草鞋が挟まれていました。
「なるほど、それが欲しかったのですね。確かにあなたの履物は擦り切れてボロボロだ。非常に結構。」
 その草鞋には人間味というものを不思議と感じませんでしたが、それでも馴染みのある物を目にして村人たちの心は少し緩みました。ガチガチ頭の男は唖然としている若者から隣の村人に目を移して声をかけていきます。
「あなたもいかがですか?あなたもどうぞ、はい。」
 村人は勧められるがまま男から透明な粒を手渡されると光る箱の中に手を入れました。どんなに荒れた農地でも食い込まんばかりと鋭い光を放つ鍬に、眩いばかりの色彩が施された美しい反物、水を一滴も漏らさんばかりに頑丈なのに綿飴のように軽い桶、こぼれるほど荷物を載せても片手で運べそうなピカピカの猫車など村人が望む物が次から次へと出てきます。もうガチガチ頭の男の言葉の力に頼らずとも村人の心はマジックボックスに釘付けです。その様子に満足そうな笑みが続けて言いました。

矢印下

「結構、結構。いかがですか、いかがですか?しかしマジックボックスの力はこの程度ではありません。そうですね、例えばこんな物はどうでしょうか?」
 今度は一台の真っ赤な自動車を箱から引き出しました。一体どこにこんな大きさの物が隠れていたのか皆目見当もつきませんでしたが、その自動車に車輪は見当たらず地面からわずかに浮いています。ガチガチ頭の男は目の前の女の子と母親を指名すると車に乗せました。
「さあ、行きたい場所を思い浮かべて下さい。」
 泣きそうな顔の女の子は今起きていることから逃げたい気持ちで“家に帰りたい“と思いました。するとわずかに車体がその方向に動き始めました。びっくりした女の子が“早く帰りたい!“と気持ちを強めた次の瞬間、車はスピードを上げあっと言う間に見えなくなりました。
「どうです?この素晴らしい製品は? みなさんをどこへでも運んでくれる乗り物です!」
 人々は目の前から姿を消した親子の安否を憂うよりも初めて見た光景に興味津々です。ガチガチ頭の男は人差し指を立てると目の前で大きく左右に振って言いました。
「いや、いや、いや。この程度で驚いてもらっては困ります。このマジックボックスに出せぬ物などないのですから。」
 男はここぞとばかりに両手を箱に突っ込むと次から次へと奇怪な物を村人の前に投げ出しました。
「こーんな物も!あんな物も!・・・。」
 気がつけば何に使うのか見当もつかない数々の品物で村人は周囲をぐるりと囲まれていました。思うが早いかガチガチ頭の男は一つ一つの商品の説明を始めました。その口調や動作の速いことと言ったらありません。ひとつの説明を終えるとすぐ次の説明、そのまた次…。物凄い勢いですが村人は食い入るように耳を傾けます。この世に鳴らせない音はないと弾むように音楽を奏でる機器に太陽を持ち歩いているかのような照明器具、時計にテレビに通信機器に粉末状の食糧まで、いずれにしても今の村人には馴染みのない物ばかりです。あっという間に男は村人の周りを一周し、全ての商品の説明を終えると息ひとつ乱した様子もなく首元のネクタイを右手で直しながら言いました。
「どうです。お分かりでしょうか?素晴らしい物ばかりでしょう!」
 信じられないかもしれませんが村人はたった一度の目まぐるしい説明で全ての商品の事を理解することができました。ガチガチ頭の男の言葉はいやに頭に残るのです。
「不慣れな物ばかりで戸惑いもあるでしょうが、何て事はない、すぐに慣れます。みなさんにとってなくてはならない物になること請け合いです!困るくらいにね・・。もう一度言いますが、マジックボックスから取り出せない物などありません!みなさんが望む物、何でもです。」
 “おお!“村人から一斉に驚嘆の声が上がりました。手応えを感じたガチガチ頭の男は、透明な粒をばらまきながら叫びました。
「さあ、今日は記念すべき素晴らしい日です。欲しい物を手に入れましょう!」
 見る間にマジックボックスの周りは村人と無造作に散らかる物でごった返しになりました。その様子を傍で眺めていたガチガチ頭の男は波打つ唇に薄気味悪い笑みを浮かべたのです。

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