テト家とロン家
「おーい、マパ。こっちを手伝ってくれ。」
額に流れる汗をぬぐってダット父さんが叫びます。
季節は秋。紅葉の時節。北側にそびえる山々では、樹木たちが大きく広い緑の葉を黄色やオレンジ色、赤色へと少しずつ色彩を変えている真っ最中でした。中には深い緑色にこだわりその色合いを保ち続ける木々もいますが、多くの樹木は夏が終わると順々に自分の好きな色に葉を模様替えしていきます。誰かに色彩の審査を受けるかのように樹木たちはひと枝、ひと枝、一枚、一枚の葉の変化に神経を集中させます。幾本の木々が協力してひとつの色調を構成することさえしばしばで、山全体、森全体を見渡した時、その隙間隙間に入る華麗で繊細な色の多様さと組み合わせには目を見張るものがあります。今にも燃え出しそうな浮き上がる赤色、その背後にお日様の光を捕らえる透いた黄色、夕焼けがこぼれたオレンジ色に紫色、そして一色に収まらない緑色・・・山が一回り大きく見えます。
そんな美しく心躍る景色を背にテト家とロン家は家族総出でカムという名の穀物の収穫に汗を流していました。カムは彼らの主食となる食糧で一粒一粒が非常に小さく黄色の強いクリーム色をしています。茎の先端についている分厚く大きな黄金色の鞘の中に無数の粒がぎっしりと詰まっています。収穫の方法はいたって簡単で、鞘を軽く叩けばいいのです。表面に網目状の凸模様が走っている鞘の根元に一箇所、よく見ると小さな丸い突起を見ることができます。ここがポイントでこの部位を棒で軽く叩いてやると“待ってました!”とばかりに鞘は縦中央で真っ二つに割れて、中でひしめき合っていたカムの実が飛び散るのです。勢いよく飛び出すので受ける容器の当て方にちょっとしたコツが必要ですが、その収穫作業は慣れれば誰にでもできる簡単なものでした。
しかし、一つ見極めの難しいことがありました。それは収穫の日を決めることです。というのも鞘の外見からは中身の熟成度が判断できないのです。未熟な状態ではいくら鞘を叩いても実は弾けませんし、かといって日にちを置き過ぎると熟し切った鞘は、冬の寒さを乗せた強い秋風に刺激され勝手に割れてしまうのです。地面に落ちたカムの実はその小ささゆえに拾い集めることは骨の折れる作業になってしまいます。そういう理由から収穫日の見極めは難しくそして重要なことでした。秋風が西の方角からやって来る数日前には丸い雲が一列に並ぶ陽気日がありその日を見計らうのですが、日頃から天候を肌で感じ取る習慣も大切なことでした。
「シャーラはこの辺りをお願いね。」
とカムの実で一杯になったタムの木の入れ物を運びながらスキア母さんが言いました。
「はい。」
髪の毛をおさげに結んでいる小柄な女の子が明るくしっかりした声で応えます。
ここで少しテト家とロン家の紹介をしておきましょう。まずテト家は、背が高くやせっぽちのダット父さん、ふくよかなナータ母さん、一人息子のマパの三人家族。同じく三人家族のロン家は大柄な体格のフル父さん、誰もが美しいと認めるスキア母さん、そして娘のシャーラ。この二つの家族は同じ一つ屋根の下で暮らしていて何をするのもいつも一緒、六人で一家族と言った方が良いのかもしれません。そう、そして忘れてはならない人物があと二人います。ヤビおじいさんとフィリおばあさんです。血縁関係にはないのですがこの老夫婦も両家と同居しており、マパとシャーラにとって本当の祖父母同然の存在でした。
今日で作業を始めて四日目、この八人総出でカムの実の収穫に精を出しているのです。いつもの年なら三日もあれば優に作業を終えることができるのですが、今年は思わぬ豊作でタムの木の入れ物がすぐに溢れてしまいます。鞘の中に入っている実の量がとても多いのです。鞘の数自体は例年とさほど変わらない中、いつもと違う微妙な張り具合を見逃さなかったヤビおじいさんが「今年の収穫は大変じゃぞ、ウム。」と言ったその理由を全員が今、実感しています。カムの実で満ちた容器の搬出作業に思わぬ時間を取られ、入れ物もその分多く必要でした。その点、収穫前にフル父さんがヤビおじいさんの言葉を受けてタムの木の容器を多めに準備していたので何の問題もありませんでしたが。
タムの木は、大人が両手を回してやっと指先がつくくらいの太さで中が空洞になっており、不規則ですが幹に節があるので上手に伐ればいくらでも桶のような入れ物が手に入ります。嬉しいことに木の成長も速いためテト家とロン家の需要は十分過ぎるほどに満たされていました。ありがたい樹木でしたが、ただ仮にタムの木が存在しなかったとしても彼らが困ることはなかったでしょう。その理由は、シャーラの父親のフルが大きな体からは想像できない手先の器用さを持っていたからです。タムの木の入れ物に取っ手をつけたり蓋を作ったりするのは彼の仕事でしたし、他の材料でも器の一つや二つ作ることなどいとも簡単な作業でした。マパの父親のダットも決してこの手の仕事が苦手ではありませんでしたが、フル父さんの緻密で完璧な仕上げを見ると安心してその役割を委ねることができます。
大人が百歩も歩けば端から端へ辿り着けるほぼ真四角なカム畑の南の区画でシャーラが収穫を終えた頃、作業を始めた頃には地平に半分しか顔を覗かせていなかった第二の光の星クリルが頭上高くから笑顔のような輝きを地表に降り注いでいました。頃合いを見計らってヤビおじいさんがみんなに声をかけます。
「お昼にしようぞ、ウム。」
その声を合図に全員カム畑の西側の土手に集まりました。
「お腹空いたよ!」
マパの大きな声が響きます。
「よく頑張ったな、ご苦労さん。」
後ろからついて来たダット父さんがマパの頭に手を置いて言いました。スキア母さんとシャーラは最後のタムの木の入れ物を二人で運んで来ています。シャーラはフル父さんが付けてくれた取手を握って腕をくの字に曲げて頑張ります。スキア母さんもシャーラの高さに合わせて腕を伸ばし、二人は小刻みに歩幅を合わせながら近づいてきます。マパはすぐに駆け寄って容器の端を掴むと後ろ向きに歩きました。その後ろからフィリおばあさんが忘れ物はないかと左右を見ながら戻ってきて、最後のフル父さんが着いた時には土手一杯にお弁当が広げられていました。皆んなが集まると短い草草の上で思い思いの場所に輪になって座りました。一面緑の絨毯も顔を近づけてよく見てみると両手の指では足らないほど多種の植物が生えています。豆粒のような広い葉や柔らかな針に見える細い葉、背が低くても茎を直立させて頑張る草もあれば何か探し物をしているかのように地を這う草も見られます。「誰のために咲いているのかしら。」鼻の頭が地面に擦れるくらい注意深く観なければ誰にも気づかれないであろう花々にもシャーラの心は留まります。その花は驚くほど小さい鮮やかな黄色に奥深い空色の花弁が5枚ついており、細い茎に規則的に並んでいます。どんなに小さな存在でもシャーラの心に映ることでその形はより浮かび上がり、周りの空気がほころびます。
シャーラはそこにある世界に心を浸すことが大好きでした。草の上でも樹の上でも気に入った場所に腰をおろし、無心にその場に身をゆだねると景色の隙間から生命の姿が浮き出るのです。まるで隠されたパズルが当てはまっていくように生き物たちの物語が紡がれ、会話さえできる気がしてきます。草花に視線を落ちつかせると花が話しかけてくれるように感じ、その声の間に目線を向けると葉蔭にじっと身をひそめる小さな生き物の存在に気づきます。その姿にマパと一緒に木登りをした時に見える景色を重ね感じるのです。「こんなに小さな草花でもあなたたちには大きな大きな家なのね。どんな毎日を送っているの?食べたり、眠ったり、歌ったり、恋をしたり‥なんだかあなたたちの物語が視えてくるみたい‥。」シャーラは未だ出会ったことのない数多くの生き物の様子にさえ思いをはせることがありました。心に飛びこんでくる生き物たちとの出会いとシャーラの想像とで次々に物語が生まれます。馴染み深い感覚、新たな感動、思いもかけない発見・・観るもの観るものに疑問があふれ、心が躍り、生き物とシャーラの間に秘密の会話が刻まれていきます。瞳に写る花の姿と心に染み込む花の生命は同じものではなく、一人きりの穏やかな時間の中で生まれるときめきはシャーラ特有のものかもしれません。
「シャーラ、もう食べないの?」
スキア母さんの声が耳に入って来ました。小さな世界に浸っていると普通の声もやけに大きく響きます。
「ううん、まだ欲しいわ。」
シャーラは顔を上げると昨年収穫したカムの実で作ったおにぎりに手を伸ばしました。
「ほっ、ほっ、シャーラもマパもよう手伝ったからのう、ウム。」独特のしゃべり口でヤビおじいさんが話しかけます。「好きなだけ食べればよい。このカムの実には命の種がぎっしり詰まっておるでのう、ウム。」
ヤビおじいさんの話には“命の種“という言葉がよく出てきます。マパとシャーラのみならずダット父さん、ナータ母さん、フル父さん、スキア母さん、全員が何度も何度もこの言葉を耳にしてきました。「すべての生き物には溢れんばかりの“命の種“が宿っている」というのがヤビおじいさんの持論です。そしてどちらかと言えば話下手のおじいさんに代わって、その考え方を分かりやすい物語にして聞かせてくれるのがフィリおばあさんの役割でした。実は彼らの暮らし方もこのヤビおじいさんの持論を根っこにしているのですが、そのことはまた後にして今夜はフィリおばあさんの話に耳を傾けましょう。