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晴天

マジックボックス

失ったものと作った世界

 ヤビおじいさんに釘を刺されたドポドとロザータは数週間、忠告の言葉を心に留めて過ごしました。しかし恐れていた日は遠からずしてやってきました。つまり二人は互いの魔法力を融合させて自らの命の種に実験を施したのです。それは欲求の力が畏怖の念を抑え込んだ瞬間の出来事でした。
 まずはドポドで試しました。二人の魔法がいくら優れているとはいえ試行は困難を極めました。確かにヤビおじいさんから聞いた話を頭の中では理解しているつもりでしたが、実際に見たことのない命の種を扱う時にその計算式がそっくりそのまま当てはまるとも限りません。また色も形も姿も見えないものの前で作業は感覚に頼らざるを得ず、実のところドポドもロザータも自分たちのしていることがよく分かっていませんでした。繊細な命の種の配列を一箇所でも間違えれば魔法力を強めるどころかその力を失ってしまうかも知れないという恐怖心を持つ一方で、二人は得体のしれない高揚感に身を包まれていきました。
 悪戦苦闘の末、ドポドの身体に異変が現れ始めました。急に髪の毛の先から足のつま先まで張り裂けそうな膨張感に襲われたのです。風船を膨らませるように体の表面が引きつり、全身に言い知れぬ痛みが走ります。そしてしばらくすると今度は膨張から凝縮へと身体の感覚が変わり、身体の至る所で頻発する内側から針で刺されるような激痛に悶えました。それからはその膨張と収縮の痛みが交互にドポドを襲いました。はじめは数分おきに彼を襲っていたその二つの感覚もだんだんと間隔が短くなり、最後はドポド本人にも今どちらの痛みで苦しんでいるのかさえわからなくなりました。張り裂けそうな緊張と内に感じる鋭利な激痛。もしもよく膨らんだ風船が内側に突き刺さる痛みを覚えれば常に不安に悩まされるでしょう。それがドポドに生涯つきまとう感覚になりました。
 ただ、この状態は魔法力を強めるという点から言えば大成功でした。ドポド自身にもとんでもない力を手に入れたことがはっきりと分かりました。予想を遥かに超えた力の目覚めにドポドは我を忘れて歓喜しました。もし、この時彼が冷静に自分の身に起こった状況を把握さえしていればロザータにまで手を下すことはなかったかも知れません。しかしロザータもドポドと同じ行程を経て強大な力を手にしました。同様に言い知れぬ不安感に全身を包まれましたが、溢れくる魔法の力に驚喜しました。二人ともこの不安と歓喜の感覚に挟まれ、重大なことに気づくのが遅れてしまいました。例え気づきが早くとも取り返しはつかなかったのですが、二人はその強大な魔法の力の代償として大きく二つのものを失ったのです。
 一つは“遠く“の出来事を一切感知できなくなりました。最初に二人が気づいたことは、十歩ほど先の場所に黒い霧がかかって見えることでした。どの方向を見ても景色が全て黒い闇に吸い込まれ二人には見ることができません。そしてこちらは気づきにくい事象でしたが“音“についても同じことが起こっていました。黒い霧から奥の音を二人は聞くことができませんでした。たとえ爆音が響いたとしても気付かないでしょう。五感で捉える事の出来る広さが限定され、どんな色彩も音色も十歩先を堺に濃い霧の中に消えてゆきます。二人のいる部屋がつかみどころのない広さである理由はここにありました。
 そして認識できる範囲の制限は空間だけに留まりませんでした。時間についても同じことが言えたのです。過去については問題なかったのですが、未来‥つまり三日以上先の予定をドポドもロザータも立てられなくなりました。物事の計画を立てて動くという事が非常に困難になったのです。強大な魔法力と引き換えに二人は空間的にも時間的にも遠くのものを認知する能力を失ったのです。

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 そして二つ目に大きく失った事は「考える」という力でした。失ったと言うよりも“放棄した”と言った方が良いのかも知れませんが、二人は自分で“考え”、”判断する“ ことにただならぬ嫌気を感じるようになりました。すると奇妙なことに嫌なことから思考を遠ざけようとすればするほど、些細なことに不安が頭をもたげるのです。その言い知れぬ不安を紛らわすために二人が無意識にしていることがありました。それは自分以外の者からも “考えること” と “判断すること” を奪ってしまうことでした。他者を自分たちと同じ世界観に引き込むことで沸き上がる不安を紛らわせました。心の目は閉じたまま全ての事柄を自分たちの都合に合わせるようにしていったのです。そして一方では “考える” 行為を億劫に感じてしまう状態自体に一抹の危機感も抱きました。それがまた大きな不安へと膨れ上がります。そこで二人は残された僅かな思考を必死に巡らせ自分たちの頭脳となる存在を作ることを思いついたのです。この突拍子もない考えも突き抜けた魔法力を手に入れた二人には実現可能なことでした。命の種さえ寄せ集めれば自分に都合の良い人間を作る事ができたのです。そうして最初に作られたのがビズでした。ビズは思考力と判断力、物事の予測や助言に優れた部分を集め組み合わされて誕生しました。現に彼女はドポドとロザータの有能な助言者、いや、頭脳そのものになりました。ビズの発言で二人の行動が決まるのですから。
 最初にビズが発した助言は、トンピピ世界とは違う独自の世界を作り出しそこを拠点とすることでした。まずドポドの世界を作ったのです。次にドポドとロザータが不自由なく過ごすためには身辺の世話をする者が必要と考えました。しかしビズのような存在を作るためには大量の命の種が欠かせません。そこでビズが考え出したシステムがマジックボックス社会でした。便利な商品と引き換えにトンピピ世界の人々に命の種を支払ってもらい取得していくことを考えたのです。マジックボックス自体を作ることはドポドの魔法を持ってすれば容易いことでしたし、ロザータの魔法を応用して作ったブルティックによって命の種を取り扱いやすい透明な粒にすることにも成功しました。人々の心を揺さぶる商品を開発するためにドポドの世界に工場も作りました。ますます多くの人間が必要となりました。工場を管理する者、そこで働く人、新しい製品を開発するために“博士”と呼ばれる人間も作りました。マジックボックスを売り込むためのガチガチ頭の男もビズの発案です。多くの事物が氾濫し始め、より大量の命の種が必要となりました。しかし心配には及びません。トンピピ世界の人々はいくらでも命の種を支払ってくれるのですから。多少の値上げにも文句も言わず払い続けてくれます。
 その他に命の種であるコフェの収集には重要な目的がありました。それは命を存続させることです。ドポドとロザータが歳を取らない理由はここにありました。つまり体内の命の種をどんどん新鮮なものと交換していったのです。コフェの中にあるパメルの光が不完全燃焼を起こし始める前に新しいものに入れ替えるという作業です。しかしこの行程はビズの予想以上に労力を要しました。命の種も元あるものと同じ性質である必要があったからです。山積みのコフェがあってもドポドとロザータに見合うものは稀にしかありません。その命の種を探し出す気の遠くなる作業をこなす人間も作り、それだけのための専用の空間も作りました。こうしたすべての事が更に更にマジックボックス社会に拍車をかけざるを得ない理由となりました。ビズはより一層新しい商品の開発に宣伝、サービスへと力を注いでいきました。

矢印下

ほとんどの事がビズの思惑通りに進んでいきました。そのビズが壁に浮かぶモニターに相変わらずの無表情で映っています。いつものようにドポドに呼び出され一方的な話を聞かされていたのです。しかし、ビズからは怯んだり脅えたりといった反応は見られません。それは立体的に見えるその姿とは裏腹に奥行きを感じない面持ちからも見て取れます。彼女はドポドの言葉をうまく聞き逃し、感情を閉じることができました。ドポドの変わらぬ要求の洪水をすべて受け止めていては遅かれ早かれビズの心のダムは決壊を免れないからです。二人の拘束力の強い環境下においては身につけざるを得ない術でした。一方でビズはドポドとロザータをうまく利用もしていました。
「ドポド様もロザータ様もそう気を病まないでくださいませ。何しろ私はお二人の頭脳になるために作られた人間ですから‥。」
 この日、話を締めくくったのは珍しくビズの方でした。
「他の専門員たちもよく働いておりますわい。今まで私が提言したことを実行に移して困ったことがおありかな?マジックボックス社会はうまく機能しておりますじゃろう。ですからの、ダットの件も安心して私にお任せくだされ、適宜報告致しますゆえ。ヒッヒッヒッ‥」
 するとビズは大きな水晶玉を目の前にして何かを引き出すように言いました。
「実はすでにお伝えすることが私の頭の中で渦巻いておりますわい、ヒッヒッ… 何もこちらから捜さなくともダットたちの誰かが勝手に姿を現す!イヤイヤこれは予感などではなく間違いなく起こることですじゃ。ハッキリと視える‥ トンピピ村に戻って来る‥」
 ビズが両手を大きく振り上げて叫ぶ様子が液晶から飛び出ます。
「ドポド様、トンピピ村に風の男をお送りください。大きな手掛かりが得られますわい、ヒッヒッー。」
 キーキー声が響きます。風の男とは言ってみればスパイでした。風のごとく素早く、しかも跡を残すことなく情報を集めることでそう呼ばれているのです。もちろんこの男もビズの意見からドポドとロザータによって作られた人間でした。
「よし分かったよ、ビズ。君の言う通りにしようじゃないか。この件に関しては今後君が指示を出してくれたまえ。ただし随時状況を報告をしてくれるかい。」
 ドポドはもう疲れたという風に言いました。
「承知しました。」
 そう応えるとビズはモニターの青白い波の光に吸い込まれていきました。

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