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晴天

マジックボックス

変わり果てたトンピピ世界

 トンピピタウンの中心街にある大駐車場でククラはマパを助手席に乗せると西の方角へ車を走らせました。“走らせる”という表現よりも“飛ばす”の方が良く似合います。縦横無尽に動く車ですから駐車場の種類も様々でした。例外なく高層ビルの屋上には車を停める空間が確保されていて、その隙間を埋めていくように常に満車状態です。碁石を並べるように上空から駐車する形態のものもあれば、ビルの外壁に吊り下げる形態のものもありました。大窓の上部から突出している大きなアームの先端には磁力吸盤が付いていて車の屋根が吸い付けられ固定されます。大窓と車は連結され、座席がキックボードに変形するとそのまま建物の中へと移動できるのです。ククラが車を停めていたのは古いタイプの立体駐車場でした。ビルそのものが大きなタンスのようで、四方どこからでも車を近くに感知すると一台分の駐車スペースが引き出しのように飛び出してきます。そこにクルマを格納すると後は自動的に建物内の最適な箇所に移動し収めてくれるのです。フロントガラスにはビル周辺の情報が投影されるので欲しい情報は不自由なく得ることができます。にもかかわらずここの駐車場は他の駐車場と異なり街が混雑している時以外、満車になることはありませんでした。と言うのも建物の構造が古いタイプが故に車から降りた後、駐車場内ではキックボードを使用する事ができないのです。歩くことを忌み嫌う人々にとってこのタイプの駐車場は不便でしかありません。他の駐車場がどこも満車で仕方なく停めるか、あるいは物好きな人間しか利用しないのです。
 ククラはこの街の風潮からすれば物好きな部類の人間に入りました。彼女は歩くことが好きなのですから。誰もが忘れ去った自分の足から流れ出る時間を心地良く感じます。一歩一歩、瞬時に消えゆく時間の足跡をククラは心で踏みしめることができたのです。その生まれ出る時の流れは暖かい春風に乗って旅するタンポポの種のようにいつも自由でした。ククラ以外にも徒歩で移動する人々はいましたが、彼らの足を持ち上げるものはうららかな春風とは無縁で虚しさをまとった黒煙のように見えました。その不気味な空気は彼らの足を休ませることなく後ろから頻繁に叩きます。駆り立てられるように足を繰り出す様子はククラに底のない砂時計を思わせました。生命の時間を振り返ることなくこぼし続けているようにも見えます。辺りを飛び交う自動車の存在がさらに情調を強めます。その点でククラは車を好きになれませんでした。しかしマジックボックス社会では自動車なしで移動することは不可能です。その理由はククラの家にたどり着くまでにマパが見た大地の様子に刻まれていました。
 マパを乗せた車は高層ビルの林を抜けると、地上の様子を見易くするために雲に手が届く高さを目指して上昇しました。はるか上空からマパは大地の端から端まで満遍なく視線を走らせましたが瞳に入ってくる景色はただただ平らな土地だけです。地形の変化がいっさい見られません。山がありません。川がありません。谷も海も草原も…大地の起伏が一つとして見当たらないのです。全てが一枚板のように真っ平な陸地が広がるばかりで、はるか遠く地平線にはトンピピ世界が星である面影を思わせる緩やかな曲線が見てとれます。視線を真下に移せば大地は碁盤の目そのものでした。どこもかしこも真四角で均一な土地に区切られています。その土地の一区画一区画には箱型のシンプルな家が一軒ずつ建っていて、その家屋に寄り添う形で小さな林がマッチ棒を突き刺したように生えています。トンピピタウンのビル街は何万かの区画を集めて作られた特別な地域のようです。その一部を除けばとにかく延々と同じ眺めが続いています。

矢印下

 マパは自動車の窓に額を強く押しつけたままあまりに簡素な地上の様子を無言のまま眺めています。
「マパ、トンピピ世界の景色はどうかしら?」
 ククラは変化のない光景に飲み込まれているマパに声をかけました。
「も、森や川はどこにあるの?」
 マパの口からは率直な疑問がこぼれます。
「見ての通りどこにもないわ。」後方から猛スピードで抜かして行ったワイン色の車を目線で追いながら答えました。「寂しいことね。」
「ないって…じゃあ、森の生き物はどこに住めばいいの?」
 マパは振り向いて言いました。
「ほとんどの生き物はいなくなったの。」ハンドルを右に切るククラの目が悲しみの色に染まります。「昔はね、今マパが見てる大地は森の緑ですっぽり覆われててね、生き物たちも溢れるほどいたそうよ。」
 マパは頷きます。
「そうだよね、フォストの森があったんだから。タトの木のお婆さんもどこまでも広がる森を見せてくれたし。」
「きっと素敵な景色でしょうね。」ククラはマパをちらりと見ると視線を戻して言いました。「生命溢れる森を知っているマパがとてもうらやましいわ。私は見たことがないの‥話には聞くけどね…。私が産まれた時にはマジックボックスが何もかも奪い去った後だったの。タトの木のお婆さんが話した通りにね、マジックボックスは見る見るうちに世界中に普及してどんどん人々の生活を快適にしたの。それまで手間暇かけて作っていた道具や食べ物も容易く手に入るし、魅力的な製品も次々と宣伝されるしね。この車もそうね。人々は大いにマジックボックスを使ったわ。当然コフェも大量に必要だからいつでも使えるようにそれを蓄える人も出てきた。ブルティックで辺り構わず何でも叩いたそうよ。コフェは好きなだけ手に入ったから人々は輪をかけてブルティックを振り回した。自分の必要以上にね。当時は空駆ける風からもコフェは弾け飛び、岩苔の間を瑞々しく滴り落ちる一粒の滴からも転がり出たそうよ。けどね、ある時を境に急にコフェが採れ難くなったの。今まで無尽蔵のように弾け出ていたものがいくらブルティックで叩いてもほんの数粒しか採れなくなってね。タトの木のお婆さんの言う通りよね、よく考えれば当然だわ。命の種って人々のとめどない欲望に合わせられるほど無限には用意されていないってことね。目に見えないものだけにみんな気づくのが遅すぎたのよ。生き物たちは瀕死の状態に陥ってた。誰も見向きもしなかったけどね。それから人々はどうしたと思う?」
 マパは何も言わずに首を横に小さく振ります。
「争いを起こしたの。生き物の多い土地を巡って戦い始めた。命の種の収穫は樹木が一番効率の良いことをその当時の人々はすでに気づいていたのね。だから森林を中心に言い争ったわ。この山や川は俺のもんだって。」
 温和な環境で育ってきたマパにとって人間と人間が争う姿は想像に難く心に重いものでした。
「争いは段々エスカレートしていった。その時よ、全身黒づくめの男たちがどこからともなく現れたのは。見計らったようなタイミングで登場したわ。そしてその争いを治めるべく一つの提案を人々の前に打ち出したのよ。分かる?それが全ての土地を平等に分けるってこと。見ての通りよ。森を切り崩し、川や池を埋め立てて海でさえも不要のものとして消していった。その様子はまるで黒い霧が大地を飲み込んでいくようだったって聞いているわ。整備したての大地は見渡す限りワックスでもかけたかのように平らになって艶やかに光ってたって‥小石一つも落ちていなかった。そして黒づくめの男たちは境界線を張り巡らせて土地を寸分違わず区切っていったの。まさしく見ての通りだわ。」ククラは大きくため息を吐くと続けました。「異論を唱える者は誰一人として出てこなかった。それどころか人々は手を叩いて喜んだ。分配された各枠域にはどれも同じようなハウスが設置され、庭には樹木の中でもコフェの収穫率の高かったヒギの木ばかりが殺風景に植えられたのよ。これで住む家には困らないしコフェだって無茶苦茶をしない限り安定して収穫できたし、その上マジックボックスがあれば必要な物は全て手に入る。疑うことなく満足したわ。マパみたいに生き物のことを思いやる人なんていなかった。今では生き物たちが存在してた事実さえ忘れ去られてるわ、きっと。」

矢印下

 マパは寂しい気持ちに駆られました。眼下に広がる世界を遠い目で見ながらククラは続けます。
「どの区画も誰かの土地なの。だから、どこかに出かける時には空を移動するしかないの。このマジックボックス社会はね、大地を闊歩する自由さえないの。みんなそれを不自由とは思わないのね…」
 乗車してから時間は然程流れていませんが、ククラから聞いた話はどれも窮屈なものばかりでした。それはパンが胸につかえたようなマパの表情からも容易に伺えます。マパにすれば大地において起伏変化のないことと言い、土の匂いを嗅ぎ分ける自由が失われていることと言い、胸の詰まる思いです。車の窓を音もなく叩き去る不自然に澄み切った大空の風が肺に冷たく突き刺さります。トンピピ世界の人々は息苦しくはないのかとマパは不可思議な感覚に包まれました。
「あそこが私の家よ。」
 ククラが地上のある一区画に指先を向けて言いました。例え指を差さなくてもマパにはひと目でそれと分かりました。ぎっしりと黒石が並べられた碁盤のパノラマの中で、その区画だけが頑張っている白石のように浮き上がって見えたからです。他の区画にはないものが二つ見えます。一つはハウスの南側につながっている外壁が緑色の半球状の建物です。そして他の区画のヒギの木がマッチ棒のように見えるのに対しククラの庭の木群は少し緑色が透けたブロッコリーのように見えます。ヒギの木も植えられていますが、寄り添うように常緑の樹木たちが天に腕を伸ばしていました。緑が透けたように淡く見えるのは、その間から葉を落としたばかりの落葉樹の枝々が見え隠れしているからです。
「うわぁ、ククラの家には森があるんだね!」
 マパが潤いの声を上げます。実際、森と言うには余りに小さな広さでしたが閑静とした景色の中では湧き上がる泉のように見えました。
「トンピピタウンで見た黒い空間があったでしょ。あの周辺の空気は少し歪んでてね、秋になると黒い霧の向こうからトンピピタウンでは見かけない樹木の種子がほんの少しだけど迷い出てくるの。子供の頃にそのことに気づいてね、毎年その種を拾いに行ったわ。あそこでは誰も私の存在に気づかなかったから自由に集めることができた。風に舞うプロペラのような種子やゴムのように弾む丸い種子、綿のついたフワフワの種子やベトベトする粘性の膜で被われてる種子‥種にも色々あるのね。庭に蒔くとすごい勢いで成長したの。ほんの数年で立派な林に成長したわ。そしたらね、どこに隠れていたのか見たことのない鳥や生き物たちが姿を見せて住み着いたのよ。迷い出た種子には他の場所で芽を出したものもあるはずだけれど、人々にとってヒギの木以外は雑木だからすぐに刈り取られたか‥もしくはブルティックの餌食になったのか…とにかくこうして成長して林になっているのは私の庭だけ。私はこの樹々が大好きだからそのまま残したの。」
「僕も大好きだよ!出逢えた人がククラで良かった‥ククラ、何だかありがとう。」
「お礼なんて‥。周りの人には不審がられるだけでね、黒づくめの男たちもやって来て怪訝そうな顔をしたわ。『まあコフェが収穫できるのであればいいだろう』って辛うじて許可をもらって‥他と違うことって大変ね。でも、こうしてマパに喜んでもらえるととても救われた気持ちになるわ。」
 そう言うとククラの車はブロッコリー林めがけて急降下しました。地面に車体が落ち着くとマパは我慢しきれずに言いました。
「ククラ、少し林を見て来ていい?」
「ええ、もちろんよ。私は家に入っているから好きなだけ楽しんできて。」
「はい!」
 元気な声を残すとマパはドアから飛び降り樹間へ消えるように駆け込んで行きました。

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