マジックボックス
フィリおばあさんの話
午後には収穫作業の片付けを済ませ、大量だったカムの実も高床にしてある丸太の倉庫に無事保管し終えました。テト家とロン家は第二の光の星クリルが西の地平線に沈む頃にはいつも夕食を食べ終えています。その後の闇がありとあらゆる光を吸収し尽くし眠りを誘うまでのしばしの間、各自好きなことをして過ごすのです。手先の器用なナータ母さんは編み物をしていることが多く、傍でスキア母さんはフル父さんが作った機械で布を織るのが日課でした。ダット父さんが日中に準備したランプの灯りを頼りに鼻唄と一緒に衣服やクロスが仕上がっていきます。時の流れは穏やかで朗らかなものでした。
布や糸の材料はこの近辺にいくらでもあります。カムの茎もその一つで加工次第でとても良質の繊維が期待できました。茎を縦に細かく裂いて二、三日水にさらし、乾かないうちに紡ぎます。それらを形を整えながら結い、光の下で干すのです。こうして出来るカムの糸や紐は編み方ひとつで通気性や保温性を変えられるので、季節に応じた生地に仕立てることができます。水をよく吸収するカムの糸もセシの実から採った油に浸し編み上げることで防水性の高い布となります。
二人の作業に合わせるかのようにダット父さんはバラレルという弦楽器を演奏し、時に歌も口ずさんでいます。フル父さんはヤビおじいさんの知恵を借りながら生活道具の製作や補修に精を出します。根っから物を作ることが好きなのです。彼ら一人一人は生活に必要なことを何でもこなせますが、決められた役割というものがあるわけではなく自然な流れで各自が一番得意で好きなことを楽しんでいるだけでした。季節の節目に自然の恵みを収穫できた時などは、全員が寄り添って調理をして一部は保存食にしていきます。年の暮れには暖炉を囲んで一年の出来事に話の花を咲かせることも恒例でした。マパとシャーラはたいていヤビおじいさんとフィリおばあさんと一緒に夜の時間を過ごします。フィリおばあさんの話が好きなのです。おばあさんは物語を創る天才でした。今まで数え切れないほどの物語を語ってきましたが、せがまれない限り一度たりとも同じ話をしたことがありません。代々受け継がれ語り継がれてきた話も多くありましたが、ほとんどはフィリおばあさんの中で生まれた物語でした。おばあさんが言うには、ヤビおじいさんの口からこぼれる言葉のすべてが物語の材料になるそうです。フル父さんはいつも言います。
「ヤビおじいさんには先を見通せる不思議な智慧があるんだよ。」
家族みんなが納得していることでした。体験や知識を超えたヤビおじいさんの智慧が、編み込まれ、思想となってフィリおばあさんの物語となり、その話がテト家とロン家の生き方となっているのです。
カムの収穫作業後の心地良い疲労の中、家族全員がフィリおばあさんの周りを囲っていました。おばあさんの左側にはシャーラ、右側にマパが座り、少し離れた正面にヤビおじいさん、大人たちはそれぞれの場所でくつろいでいます。
「今日はおじいさんの口癖の “命の種“ のお話でもしようかしらね。」
とフィリおばあさんが話し始めました。ヤビおじいさんは黙って目を閉じています。
「これはまだこの世に、天高くには燦々と輝く光の星パメルと、大地の上には天にも届きそうなほど巨大な木の精霊たちだけしかいなかった時の話。その頃は精霊自身が樹木そのもので、樹皮には命を表す脈動が天に向かって走っていてね、とても神秘的な姿だった。それと地上にはたった一人の妖精がいたの。名前はスファン。彼はフルと同じで物を創る天才だったわ。」
フィリおばあさんはフル父さんと目を合わせると独特の温かい口調で話を続けます。
「でもね、スファンは自分の気の向いた時にしか物創りをしなかった。私の知っている限り彼が創り上げたのは“青い炎の鳥“だけね。その鳥は巨大な樹木の精霊、ホブの木の葉から作られたの。ホブの木には決して落葉することのない平たくて分厚い葉っぱが18枚ついていてね、その内の1枚をスファンが手に入れてノミを走らせた。とても巨大な葉っぱだったから1枚あれば十分。彼は来る日も来る日もノミに木槌を振り下ろした。丹精込めて創る想いは、彼の汗となって一振りごとに飛び散ったわ。休むことなく彫り続けたスファンの体は、青い鳥が完成した時には見えないくらい透明になっていた。気力も体力も使い果たした彼はノミも木槌も放り出して誰も知らない場所に去って行った。それからスファンの姿を見た者は誰もいないわ。」
フィリおばあさんは少し間を置きました。
「それで出来上がった青い鳥はと言うと、ホブの木の溢れんばかりの命の種を受け継いでいたから自由に飛ぶことができたの。だけどね、本当は命の種には必要な物があってね、その秘密はその手の中に握られていたわ。」
「命の種に手があるの!?」
驚いたマパが素っ頓狂な声をあげると、目を閉じたままのヤビおじいさんが応えました。
「命の種というのはな、形なんぞあるようでないもんじゃ。手があると思えばあるし、なければないで困りゃせん、ウム。マパよ、命の種に手があるかないかなどということはたいした問題じゃないんじゃよ、ウム。」
マパにはその意味がよく理解できません。マパにとっては命の種の姿を想像する時に手がついているかどうかは重要なことでした。それはシャーラも同じです。
「マパ、命の種に手はあるわ。あなたの心にはどんな命の種が思い描かれるのかしら。」
マパの気持ちを察してフィリおばあさんが言います。マパとシャーラは額の前にそれぞれの命の種を思い浮かべて少し上目遣いになりました。“命の種“という言葉からその姿形を想像する時、十人いれば十の、百人いれば百の命の種が生まれるでしょう。そう、それでいいのです。ヤビおじいさんの言う通り、命の種にとって姿形はたいした問題ではないのですから。
「思い描けたかしら?その手の中には何が握られていると思う?」
今度はフィリおばあさんから子供たちに質問です。
「それは青い鳥が空を飛ぶための秘密のものでしょ?」
シャーラの言葉にフィリおばあさんは優しく頷きました。二人は謎々を解く時のようにあれやこれやと考えを巡らせますが、一向に答えが見つかりません。
「毎日降ってくるものよ。」
ナータ母さんが横からヒントを出します。しかし二人の頭の中は混乱するばかりです。頃合いを見計らってフィリおばあさんが口を開きました。
「難しかったわね。答えはパメルの光なの。」
「エーッ!」
マパもシャーラも驚きの声をあげました。
「パメルの光って握れるの?」
マパは自分の手のひらをまじまじと見つめて言いました。
「ええ、その当時から後にも前にもパメルの光を手に握ることが許されたのは樹木に宿る“命の種“だけなの、もう一人を除いてね。」
フィリおばあさんの優しい視線が家族の一人に一瞬向けられました。
「特にホブの木の命の種はパメルの光を捕らえるのがとても上手だったの。両手一杯に眩い光を抱えてね。だからホブの木の葉っぱで創られた青い鳥はパメルの光を体中に蓄えていたの。分かるかしら?その光を燃やすことで空を自由に飛んだのよ。特に全力で飛ぶ時には大きな青い炎が鳥の体を包み込んだそうよ。青色になびくその姿はとても優雅で美しかったってホブの木たちは口を揃えて話してくれるわ。」
マパは光を握ることのできるもう一人の人物のことが少し気になりましたが、青い鳥が飛行している光景を目の前の空間に思い描こうとしているのか眉がハの字になっています。家族全員各々が心描く青い炎の鳥の情景にしばしうっとりと浸ります。
「その鳥は来る日も来る日も空を飛び続けたわ。大空から見る大地の眺めは格別だったのでしょうね。そして飛行の合間を見つけてはホブの木の枝に留まって余念なく羽の手入れをしたの。創りの親、スファンの気質が遺伝したのか青い鳥はとてもきれい好きだった。大空を自由に飛ぶことはとても力のいることだから羽が痛むのも早かった。スファンの器用さまで受け継いでいた青い鳥は、ホブの木の葉で新しい羽を創って古いものと交換したの。幾山も越えれば羽はボロボロになったから長い距離を飛行する前には全ての羽を新品にしてから飛び立ったものよ。そんなことを毎日毎日繰り返しているうちに、いつの間にか大地は使い古した青い鳥の羽でいっぱいになったの。でも誰も気に留めなかった。あることを忘れていたのね‥。」
フィリおばあさんは少し悲しげな目をしました。マパとシャーラは話の続きが知りたくて前のめりに耳をそばだてます。
「ホブの木でさえ美しい鳥の情景に気を取られたままで気づかなかったの、使い古された青い鳥の羽にも息づく命の種が残っていることをね。パメルの光をまだ手にしたまま・・。」
予想していなかったフィリおばあさんの話にマパが言葉を挟みます。
「パメルの光は青い炎になったんじゃないの!パメルの光は燃え尽きないの??フィリおばあさん!」
マパの反応にナータ母さんがしたり顔を向けて言いました。
「私と同じね、マパ。昔フィリおばあさんから似た話を聞いた時、私もマパと同じことを思って困惑したわ。でも今ではとても実感できることなの。」
「ナータの時は、雲の中を泳ぐ魚が海を創る話だったわね。あの時のナータの反応ったらなかったわ。『燃え尽きないっておかしいわ!」って退かないんだもの。」
今度はフィリおばあさんがいたずらっぽい視線をナータ母さんに送りました。少し顔を赤らめたナータ母さんが話します。
「そう、パメルの光は燃え尽きないのよ、マパ。光の星と同じように燃えても燃えてもそこにあるの。だから使い古された青い鳥の羽にもまだまだ余りあるパメルの光が残っているのよ。命の種が一度パメルの光を手にすると簡単には手放せない・・・この事がある問題を引き起こすわ‥ごめんなさい、喋り過ぎたかしら?」
そう言うとフィリおばあさんに視線を返しました。
「いいのよ、ナータ。とにかくね、マパ、大地に積もった羽にはパメルの光を握ったままの命の種が無数に宿っていたの。シャーラ、もしあなたがみんなから忘れられてしまった命の種だったらどうかしら?」
「シャーラだったらもう一度ホブの木に帰りたいわ。」シャーラは即座に答えました。「もともとホブの木の命の種だったんだから、そこが一番安心できると思うの。このお家のようにね。」
「そうね、シャーラ。きっと命の種もシャーラと同じ気持ちだったのね。ある時、彼らは“ホブの木に還りたい!“って強く願ったの。するとその願いが届いたのかホブの木は、根元で山積みになっている青い鳥の羽の存在に気づいたわ。使い古された羽の中でひしめき合っている命の種の存在にもね。ホブの木は『君たちのことを忘れていたよ、すまなかった。還っておいで。』と本当に申し訳なさそうに謝ってすぐに木の中に迎え入れてくれたの。自分の中に命の種の居場所をもう一度創ったのね。それからというもの命の種たちはホブの木から鳥に移り、使い古されるとまたホブの木に戻ってね‥それを際限なく繰り返したわ。」
「よかった。」
シャーラから安堵の声がこぼれました。
「話はまだ続くのよ。」フィリおばあさんが続けて話します。「ある命の種がふとこう思ったの。『確かに空高く飛んで見る大空の景色は美しい。あのこぼれ落ちそうに揺れる真っ赤な夕焼けにどこまでも続く白い雲、心を吸い取られそうになる近くて遠い青い世界。どれも素敵だ。だけれど私は大地に横たわった羽として見えた景色も素晴らしい気がする。大空からは決して見ることのできない地を這う景色に心を導かれ、見上げればホブの木の葉と葉の隙間にぶつかり重なりあう無数の光景に身を包まれる。この幸せな気持ちを形にしたい‥』その呟きを耳にした他の命の種が『実は私も同じことを思っていた!』と感嘆の声を上げたの。すると『私も!』『私も!!』とどんどん同調の輪が広がって、命の種たちは高揚の色に染まっていった。それぞれが興奮気味に共感の思いを口にする中、またある命の種がこう提案したの。『ホブの木に魔法の果実を実らせよう!』すぐに全員が賛成をしてホブの木に大きくて小豆色の魔法の果実が実ったわ。どんな魔法がかけられていたと思う?命の種の想いを汲んでいた青い鳥はその日から魔法の果実をついばみ始めた。でもね、とても大きな果実だったからすべてを食べてしまうにはとても地道な時間が必要だったの。それでも命の種の想いを理解していた青い鳥はあきらめることなく食べ続けた。どれほどの年月が経ったのかしら、気がつけば魔法の果実は最後のひと口になっていた。そしてついに最後の果実をついばんだの。すると青い鳥の羽が1枚ひらりと抜け落ちて、地面に落ちるその間に四本足の地を這う生き物に生まれ変わった!命の種たちは感極まってその生き物に“ホウ”という名前をつけたわ。命の種たちが想い続けた像と青い鳥が積み重ねた行動が“ホウ”を産んだの。ホウに宿った命の種は存分に地面を移動する景色を味わった。ホウは嬉しくて千切れんばかりに短い尻尾を振ったわ。その尻尾は成長すると抜け落ちて再びホブの木に還っていった。ある時、坂道を転がり落ちたホウの命の種が呟いたの。『もっと速く動くことができれば新しい景色を見ることができそうだ。青い鳥と同じ速さで地面を駆け巡りたい!』早速ホブの木に魔法の果実を実らせて、今度はホウがそれを食べた。すると強靭で長い脚を持ったホウが誕生し、大地という大地を駆け回った。『山の向こうのあの土地の空気は驚くほど冷たい。』そう感じたホウからは全身が温かな毛に包まれたホウが生まれたの。
『川底の景色を眺めてみたい!』と願って実った魔法の果実を口にした青い鳥からは水中を流れるように飛び走る黄色い魚が産まれた。命の種たちはどんどん広がっていく体感に次から次へと願いをかけた。『目に入る世界が楽くて楽しくて眠る時間ももったいない。暗闇でも全ての景色を堪能したい。』『あの春風の香りを追いかけたい。』『大地の秋色を全て身にまといたい。』『小川のせせらぐ音に乗って身を任せたい。』‥挙げれば切りがないほどの願いが生まれた。マパやシャーラの周りにいるたくさんの生き物がその証拠よ。命の種が願った数だけ様々な種類の生き物がこの世に生まれたんだもの。気がつけば大地は生き物で溢れていた。だから命の種は生き物の数だけ新しい世界を体験できるわ。十いれば十の百いれば百の世界の違い‥見える世界に感じる世界、頭で創る世界に、心に浮かぶ世界‥驚くほど多様な世界が広がって新しい発見や喜びはきっと無限にあるのでしょうね・・。こうして私たち生命あるものが産まれてきたというお話。」
「僕も?」
マパが人差し指を自分に向けてフィリおばあさんの顔を覗き込みました。
「シャーラも?フル父さんにスキア母さん、ダットおじさんにナータおばさん、ヤビおじいさんにフィリおばあさんも?」
いつもより高いトーンの声でシャーラも尋ねます。フィリおばさんは大きくゆっくり頷きました。
「そうよ、私たち家族も、全ての生き物も同じ。」
「じゃから、お前たちの体の中でも命の種がぎっしりと宿り生きておるんじゃよ、ウム。」
ずっと目を閉じていたヤビおじいさんが細い目をパチリと開けて言いました。マパもシャーラも不思議そうに自分の手足を眺めて感触を確かめます。
「シャーラもマパも元気でいられるのは命の種のおかげなの。」スキア母さんが語りかけました。「生き物はね、時として“病“にかかる時があるわ。それはね、命の種にも時々仲の悪い者同士がいてね‥」
「仲が悪いって!?」マパが反応します。
「不思議よね‥そんな命の種が隣同士になると時に大喧嘩になる。本当は喧嘩なんて日常的にあちこちで起きているけれど、ほとんどはすぐに仲直りしてより信頼の深い関係になれるわ。でも中にはどうしても折り合いのつかない相性の悪い出逢いもあるのよ。だから体の調子が悪くなっちゃう。そんな時にはね、“食べ物“の命の種に応援を求めるの。もし私が病気になっても‥」
シャーラが嫌な顔をします。
「シャーラ、例え話よ。お母さんが病気にかかっても命の種はその原因をよく知っているわ。だからその解決策をカムの実とかリボルの果実に相談するの。すると命の種たちの総会議が始まって食糧となる果実に魔法を宿してくれる。それはそれは温かい魔法で全てを穏やかにしてくれるの。私たちは毎日それを美味しく頂いているってわけね。」
シャーラもマパも大人たちが農園の野菜や果物にいつも何か話しかけている理由が少しわかった気がしました。
「ごめんなさい、私も喋りすぎちゃったわ。」
「ありがとう、スキア。」
物語が受け継がれていく様子を心楽しく感じたフィリおばあさんはそう言いました。おばあさんの優しい口調の合間にヤビおじいさんの少し強い言葉が入ります。
「じゃから食べ物には命の種が溢れとらんとならんのじゃ、ウム。」
「命の種のない食べ物なんてあるの?」
シャーラがおじいさんの口調に反応しました。
「どうかのう・・・」
ヤビおじいさんは顎髭を撫でながら唸ります。大人たちの表情は曇り一瞬心をどこかに持っていかれたような空気がその場を支配しました。素直に話を聞いていたマパとシャーラもそのただならない雰囲気を感じ、腫れ物に触るように尋ねます。
「どうしたの?」
「あなたたちにもいずれわかる時がくるわ。おそらくそれも、そう遠くない話よ。」
フィリおばあさんにしては珍しく淋しげで心を縛られる声でした。しかし、すぐに気を取り直し明るい声で言いました。
「さあ、今夜のお話はこれでおしまいよ。」
マパが思い出したように言いました。
「まだだよ、フィリおばあさん。ナータ母さんが命の種がパメルの光を手放せなくてある問題が起こるって言ったじゃない。その話がまだ残ってるよ。」
「よく覚えてたわね、マパ。確かにそのお話がまだだったわね。とても大切なお話よ。でも今夜はもう遅いからまた今度にしましょうね。」
マパも話に夢中になっていて気づきませんでしたが、もう昼間の収穫作業の疲れが出てきてもおかしくない時間になっています。案の定、話が終わったと気を抜いた瞬間、瞼に鉛をつけたように一気に眠気が襲ってきました。
「さあ、みんなベッドに入って休みましょう。」
ナータ母さんの呼びかけでみんな腰をあげ、いつものようにフィリおばあさんにそれぞれの形でお休みの挨拶をして部屋を後にしました。
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