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晴天

マジックボックス

ブパブパ蛾

 生き物たちは静まり返り、息を飲んでタトの木のお婆さんの次の言葉を待っています。
「大切な話をする前に、マパが見つけた森の小さな秘密を観ようかねぇ。」
 と言いながら枝を大きく内側に曲げてキラキラ光る白い卵形のものを二人の目の前で止めました。同じ枝に留まっていた鳥たちは音も立てずに宙に舞うと他の枝に移りました。
「これの正体に考えを巡らせていたようだけれど、何か思い当たるものがあったかい?」
 二人は首を横に振りました。
「ふふ、まあ森の秘密は無理に答えを見つけなくても良いんだよ。あれやこれやと考えを思い巡らせるのも楽しみの一つだからね。だけど今日は特別にその答えをプレゼントしようかね。もちろん“森の秘密”そのものを見つけないことには答えも楽しみもないんだけどね。それに気づくかどうかは心の持ち方ひとつなんだよ。秘密はいたるところに散らばっているんだからね。さてお前たちは鳥の卵と言っていたが、マパの言う通りそれにしては不自然な置かれ方だねぇ。少しヒントを出そうかね。それはね、この季節には姿を見せない生き物が作ったものなんだよ。見当がつくかい、シャーラ?」
「タトの木のお婆さん、その生き物は大きい?小さい?」
「おや、おや、シャーラ。お婆さんと呼ぶのはひどいね。私はまだ千四歳だよ。フォストの森には数百年で寿命の尽きる樹木も多いけれど、タトの木にとって千年や二千年はまだまだ若いほうなんだよ。ふふふ・・・」
「ごめんなさい、タトの木の…」シャーラは素直に謝ったものの、タトの木の千四歳とは人間での何歳なのか考えあぐねてしまいます。
「ふふ、シャーラ、お婆さんで構わないよ。確かにマパやシャーラからしてみればお婆さん、大お婆さんでもおかしくないね、ふふ。」タトの木のお婆さんは枝葉を震わせて楽しそうに笑いました。紅葉後の大きな葉っぱが数枚枝から離れ舞って落ちます。「ええっと、その生き物の大きさだったね‥」タトの木のお婆さんは細い目を見開いて辺りに視線を走らせると隣のミズの木の梢で視点を止めました。「マレーユ、ちょっとこっちに来てくれるかい。」
 するとその先からシャーラの肩を目掛けて何か平たい物が流れ星のように飛んできました。ふわりとシャーラの肩に舞い降りた全身が手のひら二枚程の大きさの幕で覆われたその生き物は真ん中に子猫のような愛らしい顔を覗かせています。
「はじめまして。」
 シャーラは思わず挨拶をしましたが、そのあまりに近い存在に両目が真ん中に寄ってしまいました。するとその生き物は小さな顔を全身の膜でクルリと包み込むとコロンとシャーラの腕を転がって今度はマパの肩に乗りました。シャーラから思わず笑顔がこぼれます。
「シャーラ、質問の生き物はそのマレーユと同じ大きさだよ。」
 タトの木のお婆さんが言いました。マレーユは自分の大きさがわかるように両手両足の間にある膜をピンと張って立ちました。その今にもよろめいて倒れそうな姿がまたシャーラの心をくすぐります。
「あっ。」マパが声を立てました。「シャーラ、ほら、フィリおばあさんが言ってたじゃない。あの、とっても珍しい蛾の話。何て名前だったかな‥えーっと、パカパカじゃなくて…」
「ブパブパ蛾のお話?」
「そう、それそれ。そのブカブカ蛾ってフィリおばあさんの話だとほら、マレーユくらいの大きさだよね。」
 マパは自分の手のひらを広げてマレーユに近づけて見せます。
「マパったら、ブカブカじゃなくてブパブパ蛾よ。」シャーラはキラキラ光る白いものをもう一度見ると声高に言いました。

矢印下

「もしブパブパ蛾なら‥今は蛹の時季‥タトの木の枝で・・じゃあ、これがあの光る繭なの!」
「ふふ。二人ともフィリにその話を聞いていたんだね。」
 タトの木のお婆さんがフィリおばあさんの名前を口にしました。
「ええ、フィリおばあさんが森の秘密のお話の中でブパブパ蛾のことを聞かせてくれたの。その繭はとても珍しくてほとんど見ることができないのよって。」
 そう言いながらマパとシャーラは純白の繭に見入ります。宝石の砂を散りばめたようなキラキラ光るそのさまは二人に存在を精一杯アピールしているようにも見えます。二人は秘密の解けた満足感とフィリおばあさんの話に出てきた主人公に出会えた喜びにしばし浸りました。
「タトの木のお婆さんはフィリおばあさんのことを知っているの?」
 思いついたようにシャーラが尋ねました。
「ああ、よーく知っているよ、シャーラ。それを今から話すところだよ。」しわがれ声が響きます。「マパや、繭の中にブパブパ蛾の蛹がいるのが視えるかい?」
「うん、とっても安心して眠ってるよ。」
 マパはシャーラを通して視える感覚を素直に話しました。
「そうだね。安心しているかね‥ふふ‥」タトの木の葉がゆっくりと風に揺れます。「つまり、ブパブパ蛾の蛹にとって繭は家のようなもんだね。そして、その家は私の枝の上に作られている。分かるね、マパ、シャーラ。」二人はゆっくり頷きます。「いいかい、生命あるものは生きていくために二つの事が必要なんだよ。一つは“命の種”をしっかりと受け継いでいくこと。このことはヤビからよく聞いて知っているね。」二人は再び頷きます。「ふふ、これはヤビの口癖だからね。つまりは食べ物のことさ。そしてもう一つ欠かせないものがあってね。それが生き物の“家”なんだよ。生きていく“場”のことさ。中でもこのブパブパ蛾は“場”にとてもうるさい生き物でね‥それがこの生き物を滅多に見れなくしている理由なんだよ。特に繭は難しいねぇ。このことについてフィリは何か言ってたかい?」
「ええ、ブパブパ蛾はたくさんの条件がそろわないと繭を作らないって教わったの。例えば‥そう!タトの木の枝にしか作らないとか‥」
 シャーラは人差し指を顎に当てると助けを求めるようにマパに視線を送りました。
「ここの湿地のように湿り気のある場所で‥」
 マパが答えます。そしてお互いの視線の間に言葉を乗せるように交代に話します。
「冬の間ずっと木陰になる場所で‥」
「でも、あまり寒くなりすぎない所で‥」
「近くにミズの木がないと困るでしょ。」
 ミズの木の葉はブパブパ蛾の幼虫にとって唯一の食糧で、温かい繭を作るには必須の原料でした。
「それに空気の音が澄んでいる所‥」
「そうよ!」シャーラは顎に当てていた指を弾いて言いました。「森の中にレビ鳥とナレネズミが住んでいないとダメよ。冬の間、蛹が退屈しないように繭のそばでレビ鳥が美しい歌を唄うんですって。冬にきれいな声でさえずれるのはレビ鳥だけだもの。それからナレネズミは森中を駆け回ってその日に起きた出来事を詳しく蛹にお話するの。春、繭から出てくる時に何も知らないんじゃ寂しいものね。」
 二人が辺りを見渡すと、小鳥ながらくちばしの長いレビ鳥と情報収集には欠かせない円く大きな耳を持ったナレネズミの姿がそこにありました。
「こうして考えると本当ね。ここにはブパブパ蛾が繭を作る条件が全部あるわ。」
「そうだね、さすがはフィリが話しただけあるね。まだ他にも必要な条件はあるのだけれどね、要するにブパブパ蛾はそれらの環境が整う数少ない場所でなければ繭を作らないんだよ。さっきは繭が蛹の“家”と言ったがね、大きな意味ではこうした環境全てを“家”と言った方が良いかも知れないねぇ。

矢印下

 何もブパブパ蛾に限った話じゃなんだよ。どんな生き物でもそれぞれに当てはまる“場”がなければ生きていくことはできないんだからね。でもね、多くの人々はこの“場”のことを軽く見ているのさ。」
 人間と言えば、ダット父さんにナータ母さん、フル父さんにスキア母さん、ヤビおじいさんにフィリおばあさん、この六人しか知らない二人にとって「多くの人々」という言葉は少し引っかかるところがありましたが、そのまま話を聞き続けます。
「そしてね、一つ一つそれぞれの生き物はもちろんのこと、このフォストの森にも“家”が必要なんだよ。いや、この星そのものにね。フォストの森もこの星もそれ自体でひとつの生き物なのだからね。今はどちらも家出をした迷子のようなものでね、このままでは駄目なのさ。一刻も早く“家”に帰らないと‥」
 タトの木のお婆さんは心なしか息苦しそうです。
「ごめんなさい、タトの木のお婆さん。おっしゃってることがよく分からないの。マパはどう?」
「僕もよく分からない。フォストの森が家出をしてるって言われても… じゃあ、タトの木のお婆さん、フォストの森やこの星のお家は一体どこにあるの?」
「ふふ。」お婆さんに笑顔が戻ります。「シャーラ、謝ることはないんだよ。私の説明が悪いんだからね、理解できなくて当然だよ。マパの質問の通りフォストの森にもこの星にも、毎日昇っては沈む光の星クリルにもちゃんと“家”があるんだよ。ただ、ここにはない。この世界はね、ある別世界の一部を切り取ったものなのさ、ある理由でね‥。その別世界がフォストの森やこの星の“家”ということになるんだが‥。ふふ、まだチンプンカンプンといった顔をしているねぇ。では、とっておきの話の仕方をしようかねぇ。何も話は耳で聞くだけとは限らないんだよ。」
 と言うと、タトの木のお婆さんはマパとシャーラが座っている枝をグッと上方の幹に引き寄せました。巨大な二つの幹が絡み合うその真ん中には奥行きの見えない大きな樹洞が開いています。
「さあ、中にお入り。マパ、シャーラ。」
 二人は何も言わずに目を合わせると立ち上がり、手をつないだまま樹洞の中に歩を進めました。暗く懐の深い闇が待っています。マパとシャーラが中に入ると樹洞の入り口が唇のように動き、その口を閉じました。一切の光が遮断され、二人は真っ暗な空間に包まれたのです。

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